イサミ日記 WHAT`S NEW 2011 
この日記のご感想など
お待ちしています。
こちらまで
困難にある人たちを
みんなで支えよう
 あんなことこんなこと
12月30日  今年最後のトラックが岡山を出発しました。
運転手さんに安全運転をお願いし見送りました。
明日組合員さんに商品が無事に届き、ご満足いただければ幸いです。
今年も一年色々な事がありましたが、何とか無事に終わる事が出来そうです。
来年は日本中が明るく笑顔で過ごせる年になるように祈ります。
今年一年ありがとうございました。
良いお年をお迎え下さい。

(報告者:橋本益明)
12月26日  
今朝車に今年初めての3cm程の積雪がありました。
奈義山も白く凍えていました。
外気温も低く結構な寒さとなっています。
体を温める為いつもより多く晩酌したいと思います(^v^)

(報告者:橋本益明)
11月30日  牧場では和牛の一貫肥育にも取り組んでいます。 様子を見に行きましたが、どの牛もいい感じで育ってきています。
 肩幅が広く、全体的に丸く、がっしりとしていました。 来年の春ごろから出荷が始まります。
11月19日  パルコープ東香里地域交流会が催されました。 朝からあいにくの雨でしたが、大勢の組合員さんが参加されました。
 皆さん各生産者・メーカーのブースを回られ、各社のこだわりや商品の特徴など、熱心に説明を聞いておられました。
 また、いつものことではありますが、各委員さんが私達のために入念な事前準備をいただき、大変助かりました。 本当に頭が下がります。 ありがとうございました。
 来年もぜひお誘いください。
 
(報告者:橋本益明)
10月 2日  日曜日、福井県日野川に行きました。 気温16℃。 週末の雨で季節が一気に進んだようです。
 川は大勢の釣り人で賑わっていました。 最終盤のこの時期に有田川や長良川など多くの河川が釣り不能な状態にあり、岐阜や三重、奈良・大阪・名古屋などから、釣り師がこの川に集中してしまったようでした。
 写真のように、掛かる魚はまだまだ若いのですが、盛期の、目印が吹っ飛ぶようなアタリはありませんでした。 本日をもって、納竿といたします。

 いろんなことがありましたが、今年も自然のなかでゆっくり流れる、豊かな時間を堪能することができました。
9月26日


                  〜 被災地岩手を訪ねて 〜

9月20日
時35分、予定通り飛行機は花巻空港に到着した。

台風15号の影響か、飛行機が厚い雲を抜け、東北の大地が見えるようになったのは着陸3分前だった。

窓の外に広がるのは、収穫を終えた田と、刈り取りを待つ黄金色の田、そして緑の圃場が織り成す美しいパッチワークだ。

久しぶりの東北は寒かった。気温13℃。昨日の雨から急に寒くなったらしい。長袖の上着がないとつらい。

バスに乗り国道283号線を遠野に向かう。

空港からほどなく北上川を渡る。かなり降ったのだろう、川幅いっぱいに濁流が石巻めがけて押し下る。

こちらの土の色なのか、無言の流れは黒茶色に濁っていた。

東北新幹線「新花巻駅」を過ぎ、国道は猿ヶ石川に沿って遠野に続く。

沿道には「がんばろう」「蘇ろう」「ありがとう」「絆」など、いたるところで被災県の思いが、道行く者に、また自らに語りかけられる。

JR釜石線が国道に着かず離れず走っているが、遠野までの約時間、列車を見ることはなかった。


遠野は宿場町の面影を残す、しっとり落ち着いた街だった。
地元支援グループの代表から説明を受ける。


遠野は内陸にある盆地で、北から「大槌」「釜石」「大船渡」「陸前高田」など沿岸部の主要な都市から一日で往復できる位置にあり、山と海の物品とともに情報や人も行き交う重要な町であった。1と6のつく日が市日であったという。


三陸(陸奥・陸中・陸前)地方は古くから頻繁に津波の被害を受けている。

30年に一度やってくるという津波のたび、その立地と、また南部藩筆頭家老の領地という立場から、津波の被害を受けない遠野は、南部の後方支援の地としての重い役割を果たしてきた。

今回の震災でも遠野に支援基地がいち早く設置され、今なお懸命の被災地支援を続けていることを「宿命的DNA」と代表は語る。


しかし、古来遠野は貧しい土地であった。三年に一度の不作、冷害は六年に一度、さらには九年に一度飢饉が遠野を襲った。

柳田國男が後世に伝えた「かっぱ」も「座敷わらし」も見方を変えると、貧しい地方の悲しい実態であるという。「デンデラ野」という姥捨てのシステムも存在した。


そんな遠野が「いざ」というときには、ひとり南部を支えてきたのである。


遠野を出て、いよいよ被災地を目指す。
国道107・340号を陸前高田に向かう。

途中、多くの「大阪府警」のパトカーとすれ違った。常時100名ほどが駐留し、信号がなくなった交差点で交通整理などを行っているということだった。

「これより先津波浸水想定区域」という標識があった。しかしその先も、海に向かって町並みは続く。


港町陸前高田に流れ込んでいるのは「気仙川」だ。
津波はこの川を7キロさかのぼって流域に甚大な被害をもたらしたという。

変化に富んだ流れが国道沿いに延々と続く。

強く濁っていたが、条件がよければいい釣りができるだろう。「おとり鮎」の看板も見られる。

河口近くで数名の釣り師が竿を出していた。竿の長さから判断するとどうやら鮎釣りをしているようだ。しかしこんなに濁っていて掛かるのだろうか。


そんな風景はカーブをひとつ過ぎて一変する。


すさまじい光景だった。

目に飛び込んできたのは激しくひしゃげたおびただしい数の車だ。

トラックや軽自動車、消防車。どれもが大事故に遭ったように原型をとどめていない。

それらが整然と並べられている。車の墓場である。


瓦礫の山もそこここに墳墓のようにそびえている。

6ヶ月という時間の経過は、瓦礫の山に雑草を繁らせていて、遠目には小高い丘にも見える。

しかしそこに積み重なっているのは、何万という人たちの生活の痕跡であり、打ち砕かれた夢であり、無念の叫びである。


港町の営みを守るはずの防波堤が、積み木のように、遠くで力なく転がっている。

ふと足元に視線を移して、不動産広告の間取りのようなコンクリートの並びに気がついた。

住宅の土台だった。よく見るとコンクリートの間取り図は延々と防波堤まで広がっている。

町が消えたのだと知った。


さらに大槌に移動して言葉を失った。

津波だけでなく火災にも襲われたこの町で、どれほど多くの命が奪われたのか、ふくらまないまま摘まれてしまった小さな夢がどれだけあったろうか。

思わず合掌した。


この凄惨な光景は、被災地の人々にとっては越えなければならない現実である。

しかし、前述の代表はつい最近まで被災現場にカメラのレンズを向けられなかったという。

多くの人々が過酷すぎる体験をし、被災地にはいまだ語ることのできない話が折り重なるように埋もれている。


この現実を乗り越え、被災地が未来に向かって再び力強く歩みだす日はいつになるのか。

それまで私達日本人は、こころを合わせて被災地を支援し続けなければならない。


一泊二日の短い旅だった。

私はいつかあの気仙川に竿を伸ばすことがあるだろうか。

9月18日
 おおさかの産直友の会の皆さんが見学にいらっしゃいました。 去年も来ていただきましたが、みなさんとても明るくパワフルです。
 前日まで降った雨の影響で足元は悪く、蒸し暑いなか、牧場見学をして頂きました。
 見学・えさやりの後、お待ちかねのバーベキュー。みなさん“美味しい”とお箸も進み、沢山食べて頂きました。 昼食を食べながら学習会を行いました。
 予定通り13:30頃に次のお楽しみ、奈義町のピオーネ狩りに向けバスは出発しました。 
 みなさんが帰られた後、牧場は寂しいくらい静かになりました。
(記事:橋本益明)
8月23日  パルコープ南北小倉地域の組合員さんが牧場見学に来られました。 大人14人、中学生1人、小学生4人。 いつも学習会などでお世話になっている皆さんでした。
 あいにくの雨の中、お昼ごろにバスが到着、すぐにバーベキューでお肉を食べて頂きました。
 食事後足元の悪い中、牛舎を見学して頂き、見学後約30分程のミニ学習会を行いました。 ミニ学習会の時は大雨が降り、会場の屋根を大粒の雨が叩き、マイクの声が聞こえない程でした。 また、足元に水が入り込むなど、大変な学習会となりました。 幸い滑ったりして怪我をする人もなく無事終了。 一安心でした。
みなさん本当にお疲れ様でした。 また来てください。
(記事:橋本益明)
8月 6日  旭地域活動委員会の組合員さんとお子さん41名が牧場見学に来られました。 途中高速が渋滞していたとのことで1時間ほど遅れて到着されました。
 この日も天気は良く、かなり暑かったのですが、日陰に入ると涼しい風もあり、気持ちよく見学していただきました。
 バーベキュー、場内見学、エサやりと一通りのスケジュールをこなして牧場を出発したのは3時を回っていました。 帰阪はかなり遅くなったのではないでしょうか。
 みなさん本当にお疲れ様でした。
8月 3日 放射能汚染の問題が私達の業界をこんなに大きく揺るがすことになるとは思っていませんでした。
東北地方の牛肉を買って「支援セール」を行おうと考えていました。
東北地方で飼養できなくなる牛を一時的に岡山の牧場で預かることも考えていました。
すべて今はできなくなってしまいました。
産地の皆さんの深い無念を想うと言葉がありません。

「牛の二度殺し」という言葉があります。
牛肉がまずい調理をされて人間の口に入らず棄てられることをそう言うそうです。
おいしい牛肉になるように大切に育てられた東北の牛はこれからどうなるのでしょうか。
肉になることもなくいのちを捨てるようなことになるのでしょうか。
それはなんという言葉で表現すればいいのでしょうか。

一日も早い問題の終息を祈ります。
7月27日  用事があって安曇川朽木地区に立ち寄りました。 この日の朽木は最高気温23℃、水温は17℃と、この季節にしてはどちらも異常なほどの低温でした。 近くのオトリ屋さんも「夕方になると寒い。このまま秋になるんとちゃうやろな」。 生活がかかっています。
 この日朽木から車で30分ほどの福井の川にいた人は「熱中症にかかりそうやった」とのこと。 安曇川は大増水で川相もすっかり変わってしまっているのに、福井では大渇水。 いったいどうなっているのでしょう。 やはり日本の気候がおかしくなっているように感じます。
7月26日  よどがわエリアの組合員さんが牧場見学に来られました。 参加希望者多数で、抽選になったそうです。 また、この日の牧場は日差しはあるものの涼しく、見学やエサやりなど気持ちよく過ごしていただきました。 皆さん本当にラッキーです。
 10年前に見学に来られた組合員さんもおられ、懐かしむとともに、牧場の変化に驚いておられました。
 涼しかったからか、食欲も増したようで、バーベキューが飛ぶようになくなっていきました。
 皆さんお疲れ様でした。 また来てください。 いつでも大歓迎です。 抽選に漏れた皆さん、今度は絶対来て下さい。
7月24日  23・24の2日間、恒例の「夏休みファームステイ」が開催されました。 今年は女の子10名、男の子5名が参加してくれました。
 暑い中、牛のミルクやり(写真)、水槽掃除、牛舎の掃除など、大人と同じ作業を手伝ってもらいました。 大変な作業ですが、全員弱音を吐かず、次々と消化していました。 驚きです。 特に水槽掃除は本当に助かりました。 最後までがんばってくれたみんなに感謝しています。
 バーベキューや花火、とうもろこし狩りや写生大会などのお楽しみも盛りだくさんで、2日間はあっという間に過ぎました。 みんなが帰ったあと、シーンと静まり返った牧場でとっても寂しい気持ちになりました。 また来年が楽しみで待ち遠しいです。

(記事:松下久美子)
7月19日  なでしこジャパンW杯優勝おめでとう! こころのモヤモヤがすっきり晴れるような気がします。 フェアプレー賞っていうのも嬉しいですね。 今回の震災でスポーツ選手が「自分にできることを精一杯…」と言っているのをよく耳にしますが、大切なことなのだとあらためて感じさせられました。
 「はやぶさ」のド根性の生還や、スーパーコンピューター「京」のぶっちぎり世界一も嬉しかったですねぇ。
 大したことはできませんが、私どもも「できることを一所懸命、誠実に」がんばっていこうと、こころに刻ませていただきました。 ありがとうございました。
6月26日  安曇川朽木地区の解禁に行って来ました。 大変な賑わいでしたが、鮎の遡上が芳しくなく、皆さん苦労されていました。 渇水のため鮎が遡上できていないそうです。 和歌山の河川がずっと増水していて、入川できていないのと真逆です。 なんか気候がおかしいような気がします。
 鮎が少ないため、コケは青くなるまで伸び放題で、垢腐れも見られ、川の色は最悪でした。 朽木の去年の釣果が良かっただけにこの状況はとても心配です。 もう一枚の写真は前々日の夕立で濁った川を前に、力なくしゃがみこむ遠方からの釣り人。 翌日には濁りも取れていました。 回復の早い、すばらしい川なんですが…。
6月15日  第3回「西日本産直協議会の展示会」が開催されました。 生産者・メーカーが集い、自社の自慢の商品を紹介するだけでなく、お取引先に「自慢の仲間」を紹介します。
 気心の知れた生産者・メーカーそしてお取引先がつながり合うことで信頼の輪が自然に、そして大きく拡がります。
 会を通じてご縁をいただいた皆様とのつながりをこれからも大切に育んでいきたいと思います。
 会の開催に当たってご苦労いただいた皆様と、ご来場いただいたお取引先に感謝申し上げます。 ありがとうございました。
5月 3日  川の恵みです。 例年5月26日に解禁になる有田川の鮎釣りが今年はなぜか5月1日に早まり、解禁3日目の支流「四村川」に入りました。 さすがにまだ水は冷たく、そのせいか釣り人もまばらでした。
 先週降った雨の影響なのでしょう、下流には少し濁りがありましたが、支流の水はどこまでも透き通り、オトリ鮎と掛かり鮎の動きがはっきり見え、友釣りの醍醐味を堪能することができました。
 今年は天然遡上が多いとの話でしたが、釣果もこの時期にしては上出来で、小さいのをリリースしても結構残りました。
 来月には他の河川も続々と開き、本格的なシーズンが到来します。 「ワクワク・ドキドキ」の始まりです。
5月 1日  牧場の職員がタラの芽とワラビを採って送ってきてくれました。 タラの芽はごらんのようにまだつぼみの状態ですが、栄養が行き届いているのか、どれも一口では食べられないサイズでした。 もう少し育つと苦味が増して酒の肴に「もってこい」なのですが、ちょっとでもタイミングがずれると食べられないくらいに大きく育ってしまいます。 むずかしいのです。
 今年も自分では収穫できませんでしたが、おかげさまで春の恵みを堪能することができました。 ありがとうございました。
4月12日 【牧場便り】

 黒豚の「ちゃ(毛が茶っぽいのでそう呼んでいます)」が4月10日に出産しました。 10頭分娩して、残念ながら2頭は死産でした。  今回は陣痛が弱く、1頭分娩後、2頭目をなかなか産まなかったので、分娩誘発剤を注射して、出て来なかったのは手を入れて引っ張り出しました。
 写真は、息をしていない豚がもしかしたら生き返るかもしれないと、宮本さんが人工呼吸をしているところです。
(松下久美子レポート)
4月 6日  牧場ではこれから山菜のシーズンを迎えます。 写真は先週撮ったつくしで、やっと顔をのぞかせた程度だったのですが、数日でずいぶん伸びました(ポインタを写真に乗せるとつくしが伸びます)。 このあとはワラビやゼンマイ、タラの芽、コシアブラなど、この時期でしか味わえない「高原の幸」がいっぱい採れるようになります。 ここ数年、その短い収穫時期を逃してしまっているのですが、今年はなんとかがんばってみようと想います。 どうです、一緒に行きませんか。
 各河川からはアユの遡上の話題もチラホラ。 来月になれば待望の…。 春の歩みは駆け足に変わってきたようです。
4月 4日  岡山工場の近くに「平の枝垂桜」があります。 高速バスの勝間田停留所を降りてすぐのところ(地図)に一本だけある桜ですが、実に見事な枝ぶりで、毎年道行く人々の目を楽しませてくれています。 
 入社式で近くを通ったときには、まだつぼみでしたが、ここ数日の陽気で一気に花開かせたようです。
 無常の世の中にあっても、ちゃんと春の訪れを体いっぱい表現してくれる姿には、ありがたく、思わず手を合わせたくなります。
4月 3日 opinion

朝目が覚めると「夢であってほしい」と思う現実が待っている。 この数週間、日本人は皆同じような朝を迎えている。
しかし、いつまで続くかわからないこの現実と向き合う覚悟はできた。
そして自分に何ができるのか、何をしたらいいのか、答えを求めている。

「悉有仏性」という言葉がある。
「全てのものには仏の心が宿っている」「万物はそれぞれが果たすべき善い働きを持っている」という意味の仏教の言葉だ。
自分の仏性は何か、多くの人が答えを求め、気付き始めている。

日本の「善い働き」の総力は莫大なエネルギーを持っている。
この総力のベクトルを「被災地の復興・日本の未来」に向けなければならない。
ベクトルの方向を決めるのは国民の負託を受けた政治の役目だろう。
その政治のベクトルがいろんな方向を向いてしまっては、せっかくのエネルギーが相殺されてしまう。

国を想う気持ちは同じはずだ。
お互いを認め、赦し、この国のためにひとつの方向を指差してほしい。
日本人は皆、その指差す方向に力を合わせて突き進む気持ちでいる。
いまこそ政治がその仏性を果たすときではないか。

すべての日本人の願いは被災地の復興と再び力強く立ち上がった日本の未来だ。
目覚めたとき、現実が少しずつその願いに近づいていることが実感できる朝を早く迎えたい。
4月 1日  岡山工場で新入社員の入社式を行いました。 今年の新入社員は岡山採用の2名。 彼らのような若者たちが将来の日本を支えていかなければならないのは間違いありません。 これから多くの試練に向き合わなければならない二人にエールを送りながらその門出を祝いました。
 同じように社会に飛び立った皆さんの幸せをお祈りします。
3月26日  昨年、宮崎県で口蹄疫が発生して以来中断されていた牧場見学が再開されました。 本来なら去年の夏休みに開催されたはずの「親子ツアー」が再開第一号となり、大阪から約40名の皆さんがいらっしゃいました。
 岡山県北部では積雪も見られるあいにくの寒い一日となりましたが、久しぶりのお客様をお迎えして、牧場のスタッフは口蹄疫問題が一応の終息を得た喜びをあらためて噛みしめていたようです。
 今週も2組の牧場見学が予定されています。 春の訪れとともに高原にもにぎわいが戻ってきました。
3月12日 東北地方太平洋沖地震で被害に遭われた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

なぜこんなことが起こってしまうのでしょうか。 本当に悲しくてなりません。

報道では、時を追って深刻化する被害状況が報告されていますが、これ以上被害が拡大することなく、
多くの人の命が救われ、被災地域が早く復旧の途につかれることをただただお祈り申し上げます。


あまりに過酷な試練ですが、日本人が一丸となって力を合わせれば、
きっと乗り越えられることと信じます。 がんばりましょう。
2月26日  生協さんの「組合員と生産者の交流会」に参加させていただきました。 「食べる側」と「作る側」の距離がドンドン広がる中にあって、生産者と消費者がお互い向き合って交流することは、「信頼」「安心」「思いやり」という「食」に最も必要な関係作りに大きく寄与することだと思います。
 「知産知消」。 消費者が生産者を知り、生産者も消費者のことを理解する…。 商品だけではなく、その向こうにある生身の消費者・生産者の姿を知ることで「食べる側」と「作る側」の距離はグッと縮まり、そこから「信頼と安心」の絆が強まるのです。
 大勢の組合員さんが参加されていましたが、皆さんとても熱心で、招かれた生産者たちと一緒にとても楽しいひとときを過ごされていました。
2月20日
 成恩寺さんで「感謝祭」を行いました。 私達を支えてくれた先達や家畜に対し、感謝と鎮魂のこころを捧げました
 無常の世の中にあっても変わらず大切にしなければならない「感謝のこころ」。 他に感謝しながら自分に与えられた仏性を果たし、こころを高めていくことで回りを善くする。
 毎年この時期に行われる「感謝祭」で、社員全員がこの想いを共有してくれていることを強く感じます。 大変な時代ですが、みんなでこころをひとつに、明るくがんばろうと確認しあいました。
 成恩寺さんの境内では福寿草や白梅、桜(!)などが暖かい春の日差しを優しく彩ってくれていました。
 休日にもかかわらず、また遠方から参加してくれた仲間の皆にこころから感謝します。 
ありがとうございました。
元日 新年あけましておめでとうございます。

〜 色即是空 おかげさまのこころ 〜

皆様のおかげで
清清しい元旦を迎えることができました。
ありがとうございます。
 「見えるものそのものは実体でなく、見えない極微(ごくみ)が集まって実体をなす」般若心経の有名な一節のひとつの解釈です。
 扇は紙と竹と糊と、要となる金具からできていますが、それらの個別の要素そのものは扇ではありません。 お互いがうまく組み合わさって扇という実体を形作っているのです。 イサミも個々の従業員とお客さま、お取引様、そして地域の皆様のおかげさまで成り立っています。

   これからもおかげさまのこころを大切に精進してまいります。
   本年もよろしくお願いします。               
 拝

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